自分らしく幸せに生きるって何だろう?アドラー心理学から考える幸せな生き方

元住吉 こころみクリニック
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2017年4月より、川崎市の元住吉にてクリニックを開院しました。内科医と精神科医が協力して診療を行っています。
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突然、無性にイライラしたり、急に悲しくなって落ち込んだりすることってありますよね。そういう時はたいてい、自分らしくない時です。何かに合わせていたり我慢しているとイライラしてきて、自分の居場所がない時に悲しくなりませんか?

こういう状態が続くと誰もがストレスとなり、それが長期間続くと体調が悪くなり寝込んだり、仕事でミスしてしまってそんな自分ではなかったのにと自己嫌悪に陥り動けなくなったり、どんどん負のスパイラルが連鎖していきます。こうして誰もが心の病になる可能性を持っているのです。

しかし、いくら好きなことをしていても心は満たされず、幸せを感じられないこともあります。それは、人の役に立てていなく自分の存在価値が貢献できていると実感できていない時です。

例えば、歌手になりたくて好きな歌を唄い続けてきたけれど、歌は売れない、ファンはまばら状態であった歌手が、ある日突然ヒット曲に恵まれて歌は売れ、大勢のファンがつくようになった時、みるみるうちに自信に満ち溢れたいい顔になっていきます。心が満たされている証拠です。好きな歌を唄うことによって、人の心に喜びと感動を与えたという貢献ができたと思うからです。人の役にたてたという実感をつかめたからです。

このように人生何もかもがうまくいくとは限りません。しかし誰しもが幸せになる権利はあるのです。幸せになっていいのです。いま幸せでなければ、自分を変えて幸せをつかまなければなりません。

人は地球で共存して生きています。自分だけ1人ではないのです。逆に1人だったら生きていくことができません。どのようにしたら1人1人が自分の価値を尊重して幸せを感じて生きていくことができるのでしょうか。

アドラーの心理学の考え方がそのヒントになるかもしれません。アドラー心理学は、無意識に抑圧している葛藤を劣等感(コンプレックス)と考え、それを相対的にプラスと優越感を目指して人は行動していると考えます。

ここでは、「嫌われる勇気」というベストセラーで世間でご存知の方も多いアドラー心理学をふまえて、人生において大切なものをみていきたいと思います。

 

1.アドラー心理学でのライフスタイルの考え方

アドラー心理学では、ライフスタイル(気質や性格、生き方)は自分で選んでいるものと考えます。ですからライフスタイルは、変えられるものになります。与えられたものをどう使うか、経験をどう意味づけるかでライフスタイルが変わっていくと考えます。

「今、あなたは楽しいですか?幸せですか?」と聞かれたら即答でなんと答えますか?

「楽しい」「幸せ」と答えた人はおそらく、周囲に人、友達が沢山いる人ではないでしょうか。

お金もあって目標も達成したけど友達がいない、応援してくれたり理解してくれる人が周囲にいないような人は、即答で楽しい、幸せと答えるのに戸惑うはずです。

あの時が一番楽しかったと言える時期って、友達と楽しく過ごしていた時期ではないでしょうか。年をとるに連れて人づきあいが面倒になってきてご無沙汰してしまう傾向になってしまう人は、特に楽しかった時期をそう感じませんか。

年をとれば環境も変わるし、自分も人も変わるから前のようには楽しめる関係は築けないと思う人は、自分を客観的に見つめてみてください。

あなたはどこにいますか?地球の上ですね。
あなたは地球上でたった1人ですか?他者が沢山いますね。
人生でもっとも多く直面する問題って何ですか?人間関係ですね。

人が生きていくには、身体も心も発達させなければなりません。そして人はたった1人ではなく、まわりには他者がいて他者と結びついて生きています。そして自分の歩んできた道に影響してパートナーと出会い、家族を作っていきます。

目の前のことにできる限り努力をし、仲間がいて、人類の幸福に貢献できる勇気をもつということが人生の課題といっても過言ではありません。

 

しかし「隣の芝生は青くみえる」、つまり何でも他人のものはよく見えてしまい、人に嫉妬したり、自分を卑下してしまったりするのは、自分の幸せを逃しています。もしそう思うのであれば、自分を変えればいいのです。変える勇気をもてばいいのです。他人をうらやんでいても幸せは転がってきません。

遺伝学や脳科学をみていると、なかば決定論的な考え方が強くなってしまいます。「この病気の原因遺伝子がある」「親の愛情が足りないとこの病気のリスクになる」といった報告は、遺伝子も養育環境も変えることはできないものだから仕方がないともとられかねません。

精神医学もその類にもれず、多くの病気で生まれ持っての脆弱性に環境要因が加わって発症するという疾患モデルが一般的です。

アドラー心理学ではこれを否定します。「大切なのは、何が与えられたかではなく、与えられたものをどう使うか」と考えます。

環境的に無理、性格や気質は遺伝だから変えられっこない、なんて思っているのは、ただの言い訳にすぎません。変わらない自分の方が安心で、変わる自分の方が不安だから、自分で変わらないという決断を下しているだけと考えるのです。

アドラー心理学では、気質や性格、生き方をライフスタイルといいます。ライフスタイルは自分で選んでいるものと考えます。そして様々な経験はそれ自体が問題ではなく、その経験に与える意味が自らを形作っていくと考えます。ですから自分のライフスタイルを変えたいと思ったら、どんな環境におかれていても自分の責任で変えることができるのです。

 

ある意味自分次第という厳しい考え方ですが、アドラー心理学は非常に希望に満ちています。

私はこうなるからと宣言して本当に実行している人を何人か見てきましたが、そばから見ていても輝きに満ちていて、幸せを次から次へとつかんで前進しています。変わらない人は愚痴が増えていき、ネガティブな方向に導かれていくようにみえます。

変わらなくても幸せであれば問題ないのですが、変わりたいのに変われない人は、どうやって勇気をもって1歩を踏み出したらいいのか戸惑っているかもしれません。こういった問題の根本は、アドラー心理学では対人関係にあると考えます。

 

2.アドラー心理学での対人関係-他者との競争ではない

優越性の追求と劣等感は自身の進歩のために重要ですが、他者と比較することでのコンプレックスとなっては息苦しくなってしまいます。

知らないことを知りたいと思うから、人間は努力を惜しまず、訓練や研究や勉強などをします。このような優越性の追求と対をなすのが劣等感です。アドラー心理学では、優越性の追求と劣等感は誰しもが持っているもので、どちらも努力と成長への刺激となるものと考えます。

ここでいう劣等感は他者との比較ではなく、理想の自分と現実の自分との比較をすることです。この劣等感こそが人類のあらゆる進歩の原動力となっているとアドラーは考えます。

しかし、一方で強すぎる劣等感を劣等コンプレックス、過度の優越性の追求を優越コンプレックスと言い、いずれも人生に有用でないとアドラーは考えました。

 

劣等コンプレックスとは劣等感を言い訳に使うことです。例えばテストがあるから学校に行きたくないとします。その時に、熱がないのに熱があるから学校を休むと親に言います。このように見かけの因果律をたてて人生の課題から逃げようとすることを、劣等コンプレックスと言います。

一方で優越コンプレックスとは、背伸びをして自分を実際よりも大きく優れていることを強調して他者に誇示しようとする人を言います。学歴や経歴を誇示したり、高価なブランド品ばかりで身を飾り、過去の栄光の自分にしがみつき、輝いていた時代の話ばかりをする人、自慢する人です。

このように自分が優れていることを強調し、他者に誇示しようとする人は、ただ他者よりも優れているように見えることが重要であり、絶えず他者の評価を気にかけ、他者からの期待に応えようとするのです。実際に優れているかどうかはどうでもいいのです。また、他者の価値をおとしめることで、自分を上に置こうとする人もいます。少し自己愛性パーソナリティー傾向ともいえますね。

 

しかし実際には、自分が思っているほど誰も自分に期待も注目もしていないはずです。競争する相手は他者ではなく、自分なのです。人生は他者との競争ではありません。同じ平らな地平に、自分より前を進んでいる人もいれば自分の後ろを進んでいる人もいて、誰とも競争することなくただ前を向いて歩いていけばいいのです。

人間は、今の自分よりも前に進もうとすることにこそ価値があります。自分が自分であろうとするとき、競争は必ず邪魔をしてきます。競争相手は仲間にはならないでしょう。

 

オリンピックの金メダリストは、自分のベストタイムやベスト点数などと比較して、自分を反省して次につなげていく課題としているコメントをよくします。またライバルがいるから伸びるという意味では、良いライバルも必要です。しかし、そういうライバルは普段は信頼している仲間です。敵ではありません。だからお互いに伸びるのです。

これが、敵であればどちらかが優越コンプレックスを味わい、どちらかが劣等コンプレックスを味わうことになり、勝者が続くと勝ち続けなければならないと心休まる時がなくなり、敵で満ち溢れている気分になり、敗者が続くと復讐を画策するようになってしまったりして他者を信頼できなくなってしまう、競争の危険の領域に入ってしまいます。

 

また、主張の正しさは勝ち負けとは関係ありません。私は正しいのだと確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。自分が正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとしてしまうのです。

怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。言葉によって、言葉の力によって、論理の言葉によって有用なコミュニケーションをとることができます。

 

あなたが思っているほど、誰もあなたに期待していません。勝手に自分で劣等感を感じてしまっているだけなのです。一方、あの人の期待を満たすために生きてはいけません。次に他者の人生を生きてはいけないというお話しをしたいと思います。

 

3.アドラー心理学での家族関係-他者の人生を生きてはいけない

他者からの承認を求めず、自分自身の人生の課題に向き合っていくことを大切にします。自分のことは自分でしか変えられず、他者のことは他者しか変えられません。親は子供が自分の課題と向き合っていくように促すことが大切です。

それぞれの家族が持っている「家族価値」というのは、家族があれば必ず存在します。例えば、学歴を重要と考えるのか、勉強などせずともたくましく生きていけばいいと考えるのかです。

親の価値に従うのか従わないのかは、子供が決めることですが、あまりにも強い家族価値は、子供のライフスタイルの選択に大きな影響を及ぼすことになります。また、子供が意識せずとも身に付けてしまうので、自分が生まれ育った家庭とは雰囲気が大きく違った家庭で育った相手と結婚した場合などに問題になることもあります。

 

もし、親の意向と自分の意見が異なっているのに、親の意向を無視できなかった場合は、他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にして、最終的には他者の人生を生きることになります。私たちは他者の期待を満たすために生きているのではないのです。

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。承認欲求の否定と言いますが、承認を求めてはいけないのです。

しかし、だからといって嫌なことはやらない、例えば授業は聞かない、宿題はやらないということではありません。学校で勉強するのは親の課題ではなく、子供の課題です。宿題をやらないで怒られる、勉強をしないで成績が落ちることを引き受けるのは親ではなく子供です。

つまり、その選択によってもたらされる結末を最終的に誰が引き受けるのは誰かを考えれば、誰の課題を見分ける方法はシンプルです。これをアドラー心理学では課題の分離と言っています。

誤解してはいけないのは、放任主義を推奨するものではありません。親は子供が何をしているのか知った上で、見守ることが必要で、勉強については本人の課題であることを伝え、勉強したいのであれば援助する用意があることを伝えておき、子供の課題に土足で踏み込むことはせず、頼まれもしないのにあれこれ口出ししてはいけないとアドラーは説いています。

自分を変えることができるのは、自分しかいません。相手のことを信じることは自分の課題で、相手がどう動くかは他者の課題なのです。たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができますか?愛することができますか?

他者の課題に介入して抱え込んでしまうことは、自らの人生重く苦しいものにしてしまいます。人生の荷物を軽くし、シンプルにする第一歩としては、他者の課題は切り捨てることです。

 

そして自らの人生についてできることは、自分の信じる最善の道を選ぶことです。その選択を他者がどう評価するのかはどうでもよいのです。こうして対人関係の悩みは解消されて変えられない自分から一歩を踏み出すことができるでしょう。

最後に人生のタスクである共同体感覚の3つの円環構造をみていきましょう。

 

4.アドラー心理学での人生のタスク

①自己受容

ありのままの自分を受け入れ、現実の自分を出発点にすることです。今の自分に価値があると考え、自分を受け入れる必要があります。

自分を受け入れる1つの方法としては、自分の短所を長所に置き換えてみることです。

例えば、「質問されると答えるのに即答ができない」のが短所だとすると、「答えを出すのに時間はかかるけど、一度出した答えは間違えがなく正確、他者からも共感されて信頼される」ことを長所に考えると、自分はちっともダメ人間ではなく、分析するのに時間が必要なだけで、答えの内容には確実性が必ずあると自信をもてばいいのです。

対人関係を受け入れるためにも、特別によくならなくても、悪くならなくても、ありままの自分を受け入れて普通であることの勇気を持つことです。

 

②他者貢献感

自分が役立たずではなく、役に立てている、貢献していると感じられる時に自分に価値があると思え、自分を受け入れることができます。

アドラーの言葉でいえば「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時である。」ということですが、例えばさきほどの例の、質問の答えを出すのに時間はかかるけど、出した答えは確実性があるということは、他者に役に立てていると感じることができ、他者に喜びを与えていることにもなります。

また、寝たきりのお年寄りでも生きているだけが家族の喜びであれば、その存在が貢献しているのです。自分についても生きていることで、他者に喜びを与え、貢献しています。こうして、自分の存在自体が他者に貢献していると感じられる時、自分に価値があると感じられます。

 

③他者信頼

他者を仲間であると信頼できなければ、他者に貢献しようとは思えません。信用と信頼とは違います。

信用は条件付きで人を信じることで、例えば銀行でお金を借りる時に担保がなければ貸してくれない場面を考えると信用のイメージがつきやすいと思います。信頼とは無条件で人を信じることです。

アドラーはまず、他者との間にひとつでもいいから縦の関係ではなく、横の関係を築いていくことからスタートしてみると良いと言っています。さきほどの「他者との競争ではない」というところで、良きライバルの例を挙げましたが、まさしく横の関係であるからこそ信頼できる仲間となれるのです。

しかし、会社での組織の上下関係は存在します。横の関係にはなれないと誰しもが思うことですが、馴れ馴れしく友達のようにしなさいと言っているわけではなく、意識の上で対等であること、そして主張すべきことは堂々と主張するこが大切とアドラーは考えます。

なぜなら上司の指示に従った結果、その仕事が失敗に終わったとしたら誰の責任かと考えると、自分の責任であるからです。しかし、現実問題、中々難しいとは思いますが、こういう姿勢で仕事を皆がやれば、責任転嫁も防げ、意見が交わせます。心にも良いことですし、仕事も良い質のものをやり遂げることができ、それが褒められて、いいこと尽くしで回転していくことでしょう。

時には信頼していた相手に裏切られたり、傷つけられたりすることもあるかもしれません。しかし、裏切られることを怖がって対人関係の中に入っていかなければ、誰とも深い関係に入ることはできないので幸せになることはできません。

 

これら3つは円環構造をなしています。この3つのうちどれかが欠けていたら、敵と競争しか残らなくなります。個人1人1人が共同体感覚を持って実行して生きていれば、個人は幸せをつかむことができるようになり、組織はよりよくなり、敵や間違った競争意識がなくなれば国や世界の平和は永遠に保てるとそう信じます。

 

まとめ

ライフスタイル(性格・気質)は自分で決めるものです。

対人関係の悩みを解消するには、人生は他者との競争ではなく、他者の課題を切り捨て、他者を仲間であると信頼することが大切です。対人関係の悩みが解消すれば、変わることにためらっていた自分も1歩を踏み出せ幸せになれることでしょう。

自分を受け入れることができるためには、貢献感がなければなりません。貢献感を持てるためには、他者が敵ではなく、仲間であると信頼できることが必要です。自分のことは好きだけれども、他者は敵であるとみているようなことはありえないのです。人間は全て対等であるのです。

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2017年4月より、川崎市の元住吉にてクリニックを開院しました。内科医と精神科医が協力して診療を行っています。
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